発展途上国のノスタルジー【ベトナム】

ベトナムに来て1年半、実は最初にここへ来た時から何故かよくノスタルジックな気持ちが押し寄せることが何度かあった。

そしてその理由が最近わかって来たのでブログに書いておこうかと思う。

 

が、まずはじめに、みなさん知っているだろうか。

ベトナム人そして日本人駐在員の間で大盛り上がりを魅せたサッカーアジアカップベトナムカタール戦のことを。

「ベトナム」「U23」とハッシュタグ検索すれば、どういう状況だったかすぐに確認できる。

本日サッカーでベトナムがカタールを破り、それが全国民を沸き立たせた、という出来事。

後から知ったのだが、アジアカップでベトナムが決勝に進んだのは初めてで、ベトナム国民にとってはかなりの歴史的瞬間だったそう。

 

ちなみに私はカタール戦(準決勝)に勝った瞬間はパールプラザ店のバックヤードで仕事をしていて、突然モール全体から尋常じゃないくらいの歓喜に湧く声が聞こえはじめたので、何事かと普通にびっくりしてしまった。

その後スタッフから何が起こったのか教えてもらい、その話の流れで、お兄さんの会社はサッカーがあるから今日は休みなんだよだとか、ベトナムはサッカーで勝つとみんなお祝いでご飯食べに行くよだとか、いつものベトナムおもしろエピソードみたいな感じで、その時は軽ーく談笑していた。ただ、そうやって盛り上がっているのも、一部のサッカー好きの人か、ミーハーなベトナム人たちだけだろうと、その時は思っていた。

 

だがそれは間違いだった。

帰りUberを捕まえようとショッピングモールを出た時、ベトナムの国旗を持った半端ない数の二人乗りバイク集団が道を埋め尽くし、その列が遠く奥の見えないところまで永遠と続いているのを目の当たりにしてしまったのだ…。

そして気づいた。これは単なる一部の集団が注目するイベントではなく、むしろ国民全体が一堂に会し参加する、数年に一度の超一大ビッグイベントだったということを。

 

正直、「え、そんなに喜ぶ?」と最初は思ってしまったのだが、よく考えて見てほしい。

今まで世界の目から見ても、ベトナムはまだまだ発展途上の国。世界で見ると、東南アジア諸国の中の”ある一部の国”として一括りにされるだけで、ベトナムだけ大きく注目されることがなかったかもしれない。

あるいは「これがベトナムだ。」と世界にしらしめることができず、もしかしたら国民全体で何十年も前から拳で壁を叩きつづけ、悔しい気持ちがあったのかもしれない。

そんなベトナムで、今日は間違いなく何かが変わった、躍進のともし火が付き始めた日になったのだ。

 

ちなみに後からFBで見て知ったのだけど、これはホーチミンだけでなく、彼らが決して相入れることのないハノイの人たちも同じように、同じ方法でこの勝利を祝福していた。(旗を振りながら大勢でバイクを乗り回す、アルミ鍋を叩いて嬉しさを表現する等…。)

 

そしてこの出来事で私が感じたこと、それは、昔の日本もこんな感じだったの?ということ。

今日本で、国民全員一丸となって何かのお祝いを盛大にして、例えば、その瞬間どこもかしこもパレード、パーティ!というようなことは起きないような気がする。 あったとしても、興味ないからよく知らないみたいな人もやっぱりたくさんいて、盛り上がるのは一部のみ、多分興味ないから冷めてる人もいる。

ベトナムも実はそういう人も中にはいるのかもきれない。

だけど今回の様子を見ていると、やはり盛り上がり方が尋常じゃなく、年齢性別関係なく、大多数のベトナム人が、歓喜に包まれていて、サッカー自体の祝福だけではなく、その中にはベトナムの自国愛をも感じられるのだ。

これは今の日本には絶対ない光景だし、自分の国が世界で有名になる、勝ち進んで行く、もっとベトナムは発展していくんだ、というこの国民の熱みたいなものは、こういった発展途上国、むしろベトナムにしかないんじゃないかと思う。

冒頭でも言ったが、

わたしはベトナムに来て、日本の高度成長期時代を追体験しているような感覚を持つことがある。そしてこれがノスタルジックな気持ちになってしまう一つの原因だったと、最近なんとなく気づいた。

この感覚はどうにも伝え難く、実際に行って体験して欲しいとしか言うことはできない。

同じ世代のベトナム人であっても、やっぱり私が日本で育って来た環境とは全く別で、苦労の量も日本人のそれとは違うと思うし(人によるけども)、

なんとも不思議な感覚で、30歳くらいの人だとしても、40代前半みたいな貫禄を持っていることも多々ある。

それはやはりまだ戦後40年ちょっとで、何もない時代から激変の時代を生きて来て、その間は常に外部にアンテナを張って生きて来たからなのかは、はっきりは分からない。

ただ、そう言う若い人の貫禄というのは、やはり日本の昔を生きた人も、同じような感じだったんじゃないかと私は勝手に想像して、勝手にノスタルジックな気持ちに浸ってしまうのだ。

 

そして私の謎の感覚のメカニズムが分かったところで、気づいたことがもう一つある。
それは、今の発展途上国は、昔の発展途上国と違うということ。

彼らにはネットがある、情報がある。国境をまたいで情報を得ることができる。そしてそれはネット環境とスマホさえあれば、子供でも可能であり、彼らは昔より間違いなくグローバルな環境で生きているのだ。そうして得たありとあらゆる情報は、ネットビジネスであったり、ベトナムで何か商売をしたり、いろんな場面で彼らのお金に変わっていく。

そういった環境下では、サラリーマンでも実は何個もビジネスをサブで持っている、という状況が生まれたりする。なんとも現代的で、ベトナムはまさに、”今”の感覚と発展途上国特有の若い勢いを併せ持つ、超ハイブリットな国だと、私は思う。

 

(ちなみにこの国では副業をすることはごく当たり前のことで、それは単にお金儲けという訳ではなく、ある一つの職がなくなったとしても、他にお金を得られる元を作っておいたほうが良い、というリスク分散という意味もあるかもしれない。)

 

 

発展途上国であるという強み、そして現代の技術・感覚を併せ持つ、ハイブリットな国。

特に今私の同世代、20代の若者世代にはぜひ体験していただきたい。

 

今私たちのような若い日本人は、安定と守りの時代を生きて来たように思う。そしてそう教育されて来たのかもしれない。

でも、正直私たちはもっと攻めの姿勢で新しい何かを作っていかないといけないと思う。

このままだと、今当たり前だと思っている食事も家も、時間が経っていくにつれキープするのが難しくなって来るだろうし、何しろ守っているだけじゃ40代、50代になった時手元に何も残っていない。国も元気がないならもう守ってくれなくなるだろうし、老人になった時には貧困の生活が待ってるかもしれない。

 

だからこういうチャンスを逃さず我が我がと意気揚々しているベトナムのような発展途上国は、現代のネット社会をもって見てみると、発展のスピードも早いし、めちゃめちゃ強いんじゃないかと思う。

だけど、こういった勢いのある国以上に日本がもっと盛り上がるには、若者はもっとリスクを顧みない生き方をしないといけないと思う。多少のリスクに発見が隠れてるかもしれないし、もっと自分の行動範囲を外へと広げて言っても良いと思う。

 

守りの姿勢は続かない。きっと何十年かしたら、今は発展途上だけど勢いのあるグローバルな国に一気に追い抜かれる。

守りの時代を生きた今の私たちが、今まさに経験しないといけない国。

それがベトナムだと、私は思う。

 

 

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